あ、これだ感

あたまの中にある、まだぼんやりしてて輪郭もみえず、自分では言葉にもできないイメージが、会話の中で断片的に、素材感とか、スピードとか、目つきはこうとか、カラーチップを突き合わせて、バラバラに出てきたものがそのうちつながって、ひとつのものとして生まれでた瞬間、ああこういうことだったのかと、机の上にスラスラと、地に足をつけ、こちらを見据えて屹立し、いつのまにか駆け出したりして、こういう作業をしてくれるのはたいてい自分でなく才能あるまわり人で、その光景は、いつもまばゆい。おなかの中に居たものが、生まれて、おなかがへこんでスッキリしたような、イメージ的にはおなかではなく頭や胸の辺りなんだけど、生まれ出たのでスペースが空いた。空いたスペースはまた有効に使う。自分だけでは到底無理な作業。手を動かし、考えてるのは自分ではなく目の前の人達なのに、ぼくのおなかがスッキリ。こういう作業ができる人には、持ち寄ったイメージの一致とか共有とか、そういうものは偶然とかではなく、そういうものなんだ。たぶんこれ普通だ。ぼくなんかにとっては、椅子からひっくり返る程驚くようなことなんだけど。
出来上がりが楽しみで、楽しんでいるうちにいつの間にか夜明け。よい朝。拝。